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藝大リレーコラム - 第七十三回 田中眞奈子「不思議な巡りあわせ」

連続コラム:藝大リレーコラム

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第七十三回 田中眞奈子「不思議な巡りあわせ」

 幼い頃、自宅の居間にとても気になる絵があった。描かれているのは性別不明の像で、そのお顔は美しく、物思いにふけるような不思議な表情をしていた。その表情に惹きつけられ、よくその絵をみていた。友達や兄妹と喧嘩をして悲しい思いをした時や、やり場のない憤りを感じた時などにその絵をみつめていると、心が澄んで癒されるような不思議な感覚を覚えた。年を経て、文化財保存学(保存科学)を学ぶために東京藝術大学大学院に入学し、日本の文化財保存の歴史についての最初の授業で、思いがけずその絵と再会した。実家の絵は、焼損前の、法隆寺金堂壁画6号壁阿弥陀浄土図の観世音菩薩の複製(木版画)であった。

 私の専門は保存科学(文化財科学)で、日本刀をはじめとする金属文化財や顔料などの彩色材料の材料科学的研究に取り組んでいる。同時にここ数年、近現代アートの保存に関する学際的な研究も行っている。近現代アートは、用いられている材料の脆弱性や複雑性、表現形態の多様性などから、その保存?継承において多くの深刻な問題をはらんでいる。保存修復理念ならびに方法が確立している伝統的な作品とは異なり、近現代アートの保存修復においては必要に応じ作家の意向を確認するなど慎重かつ個別の対応が求められる。素材については、新しいものは長く持つと誤解されていることが多いが、実際は数100年以上前から使用されてきた伝統的な天然材料と異なり、新しく開発された合成樹脂や塗料などは、劣化挙動自体がまだわかっていないものも多い。デジタルの場合、その保存?修復は更に難問である。また、写真や映画などの複製芸術においては、オリジナルの定義も難しい。そのような中、2015年に法隆寺金堂壁画写真ガラス原板363枚が国の重要文化財に指定されたことは、大きな意義がある。これは、壁画の焼損により、壁画を記録した2次資料である写真ガラス原版に重要性と学術的価値が認められた例である。数年前から私は、保存修復に関連し、プロジェクトとして現代写真家へのインタビューを行っているが、フィルムを現像した作品(紙焼き)は、同じものは2度と出来ず唯一無二であることがわかってきた。複製芸術を論じるとき、その「アウラ」についても議論になる。数年前に、新聞の記事で当時の東京都写真美術館館長が、複製芸術であっても写真作品にはアウラがあると論じているのを読み、自分の原体験とも重なりはっとさせられた。

 文化財の保存には正解がなく、社会環境や価値観の変化、科学技術の進歩に柔軟に対応しながら、今できる最善の方法を関連分野の専門家達と共に検討?対応することが重要である。そして、場合によっては未来に委ねる姿勢も大切だ。現在は私の家にある観世音菩薩の複製をみながら、文化財保存の原点と未来について日々考えている。

上から

写真1:集中講義「Contemporary Art and Archives」の様子(2023年6月27日、中央棟第4講義室、講師:Getty Research Institute (GCI) Head of Conservation Rachel Rivenc氏)

写真2:法隆寺金堂壁画6号壁阿弥陀浄土図の観世音菩薩の複製(木版画)

写真3:研究室にて


【プロフィール】

田中眞奈子
東京藝術大学 大学院美術研究科 准教授 2011年東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻(保存科学)博士後期課程修了、博士学位(文化財)取得。 金属文化財や顔料の材料科学的研究、放射光?中性子?ミュオンなどの量子ビームを用いた文化財の非破壊分析、近現代アートの保存についての学際的研究に取り組んでいる。